2011.11/27 [Sun]
映画『フライト・デスティネーション』
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★★★☆☆
戯言を言っているとか何かを企んでいるとか思うかもしれん。だが他に道はない。
私は追い詰められている。私がこうせざるを得なかったと、いつか君にもわかる時が来るだろう。
国家最高機密である時空間移動装置が盗まれた。装置を盗んだウィンター博士が、スカイウィング507便メキシコ行きに乗り逃亡していることが判明し、政府は国家機密の漏洩を恐れ飛行機ごと爆撃しようとするが、博士が装置を稼動させ、507便は突如時空間に消え去る。その影響で、アメリカ上空に発生した巨大なワームホールが都市を飲み込んでいく。 (2007年 アメリカ)
テレビ放送を見逃したと落ち込んでいたら実は今週だった件。冒頭シーンで飛行機の残骸から燃える炎があまりにもCGCGしていて早くもやばそうな匂い(地雷臭)がしたけれど、これはなかなかイイ線いってるんじゃない?
消失してしまった機体をリアル空間に引っ張り出そうと奮闘する主人公パートとヌル空間における飛行機内でのパートが並行して進行し、それぞれに装置を奪おうとする敵方の魔手が迫るスリリングな展開。時間の渦に消え、現在もヌル空間内を漂流中のハズの507便が既に前日夜に残骸となって発見されている不可思議な状況も、観る側の興味を惹くための材料として存分に機能しています。
CGの粗さと若干の描写不足、構造の難解さは否めませんが時間モノとしては破綻も矛盾もなく綺麗にまとまっていたと思います。お決まりながらハッピーエンドなのもやっぱり良いです。
そうはいっても劇中で説明が足りていない部分があるのも確かで、辻褄合わせはきちんとできているのだからラストについてはもうちょっと丁寧に見せるべきでした。私も一瞬、何がどうなったのか理解が追いつかなくて巻き戻しちゃいました。
(というわけで以下、恒例の解説タイム。ネタバレあります)
まずこの作品、3つの507便が出てきます。
①映画冒頭で墜落した507便(A)
②ケイレブが家族と乗り込んだ物語の舞台となる507便(B)
③ラストでケイレブが博士を捕まえた507便(C)
一応、補足しておくと507便(A)はケイレブが捜査線上で辿り着いた「昨日見つかった」という機体であり、507便(B)はワームホールの中に消えてしまった機体のことです。
結論からいえば、クライマックスでワームホールから脱出した507便(B)は時間を1日だけ遡り、そのまま墜落しています。そうでないと507便(A)が物語上に存在する必要がないからです。あの段階で507便(B)には既にパイロットがいないこと、ヌル空間内で飛行機の翼が折られていることからも考えて、これは当然の流れといえるでしょう。つまり冒頭シーンは機内で2度目のテレポーターを起動した場面の続きで、507便(A)=507便(B)なのです。
で、507便(B)の脱出直前にケイレブ捜査官が博士の顔写真をメール送信したことにより、507便(B)の物語がすっぽりなくなって、その代わりに507便(C)の物語に繋がったわけです。
ここで気になってくるのが、なぜ507便(B)から送ったメールが都合良く離陸前の507便(C)のケイレブの携帯に届いたのか、という問題だと思います。しかし、そこにも理屈が付けられます。ポイントになるのは507便(B)内に突然現れた“2時間前の残像”です。これは507便(B)で“2時間前の残像”が見えるタイミング=ヌル空間の外が2時間前の位置にいることを示しているのではないでしょうか。要するに“2時間前の残像”が見えた瞬間にメールを送ったとすると、そのメールが届く先もやはり2時間前なんですね。ではたとえば、時間と空間が混濁するヌル空間内の507便(B)が、ケイレブ一家が507便(C)に乗り込まんとしているまさにその瞬間の位置でメールを送ったとすれば、それは数時間前の彼らの下に届くハズなんです。
メールには写真だけじゃなくて怪しい人物の名前も一緒に記載しておくとより効果的です。国家プロジェクトが盗まれようとしている絶体絶命の危機の最中、発信者が匿名でも要注意人物の名前がリークされれば確証がなくともとりあえずは身柄確保に動くでしょう。何百人の人間が乗る飛行機を撃墜するよりも、ずっと理に適った対処です。
死んでしまった奥さんは前日にタイムスリップして墜落した507便(B)の出来事なので、507便(C)では当然生きている。離陸前に博士と反逆者を捕まえたため一連の事件がこれから起こることもなく、時間軸は分岐してめでたくハッピーエンドなのでした。
映画の中できちんと筋は通っているのに描写の仕方がちょっとわかりにくかったのが難点ですね。
507便が事件に巻き込まれないのにその残骸が残っているのはおかしいと言いたくなる人もいるかもですが、それは別に矛盾でもなんでもなくて、507便(B)の物語があったから507便(C)の新たな物語がある。その過程があったことは事実で決して“なかった”わけじゃない――時間モノに対する私の基本的なスタンスはこれだったりします。
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