2011.06/15 [Wed]
ブライアン・スウィーテク『移行化石の発見』
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つまるところわたしたちは、かつて豊かに枝葉を伸ばした木の、
最後に残された頼りない小枝にすぎないのである。
しかし愚かにも、わたしたちはその孤立を、
生命の過酷なレースで真の勝者になった結果だと誤解しているのだ。
ダーウィンが『種の起源』で進化論を提唱したとき、もっとも有力な反証となったのは、化石として出土している古代の動物と現生の動物とをつなぐ、「移行期の種」の化石がみつかっていないことであり、それは「ミッシング・リンク」(失われた鎖)と呼ばれた。だが1980年代以降、とりわけ21世紀に入ってから、クジラ、鳥、ゾウなど様々な動物について、「移行化石」が相次いで発見されている――。
現在の私のUMA好きやモンスター・パニック映画趣味というのは元を辿れば幼稚園児の頃の恐竜好きに起因していて、小さい頃はその手の図鑑をたくさん読み漁っていたものです。そのため恐竜に関する知識はわりとあった方なのですが、この20年で化石生物を取り巻く環境は大きく変わりました。私が主に恐竜に触れていて頃の常識ではオビラプトルは他の恐竜の巣から卵を盗んで食べていたし、子供の世話をするのはマイアサウラくらいだった。クジラの祖先が陸生だったことはわかっていたもののその祖先種はメソニクスとされていました。羽毛恐竜なんて影も形も見つかっていない。
羽毛恐竜を初めて知ったのはいつだったかの新聞の夕刊で、「ニュートン」の羽毛恐竜特集を読んで新たに発見されたものばかりか、自分のお気に入りだったディノニクスすらも羽毛恐竜であったと知ったときの衝撃といったらなかったです。後々、大恐竜博で羽毛恐竜の化石を実際に観ることができたときは感激したものです。
本書はゾウやウマ、ヒト、恐竜、魚、クジラといった生物種ごとに章を設け、過去から現在までの間にどのような議論が為され、いまに至るのかという博物史的な観点からと、20世紀末~21世紀初めに掛けて発見された移行化石の存在が進化の流れを語る上でどのような役割を果たしたかという生物学的観点の2つをミックスしてまとめ上げています。
著者が、貴重で革新的な大発見が研究者と一部の興味あるアマチュアに知られるだけに留まっている現状を嘆いて書いただけのことはあって、文系人間にも非常にわかりやすく記してあり、且つ愉しめました。
ここで述べられていることについては恥ずかしながら殆ど知らないものばかりだったのですが、特に興味をそそられたのはチンパンジーなどの類人猿に見られるナックル歩行=手をグーにして四肢を使って歩く方法はヒトの祖先と分岐した後に独自に習得したものであるというところ。ヒトの進化の過程を示したものとして一般に広く知られているサル→ヒトへの“あの図”からしてそもそも全然違っているのです。ヒトが直立二足歩行なのは進化の末に得たのではなく、たまたま樹上生活で発達した足で地面を歩こうと思ったら効率的な歩行形態だっただけのこと。それ以上でもそれ以下でもなく、ほんの転用――ただそれだけでした。
同じく用途の転用的なことでは、水棲爬虫類(イクチオサウルス)と水棲哺乳類(クジラの仲間)は似たような姿形でありながら、ひれの動かし方が爬虫類は左右に、哺乳類は上下運動であり、これらは陸生生物であった祖先種の歩き方=足の動かし方の違いに起因しているといった例もあってまさに目からウロコ。「進化」よりも結果的に、が思いの外大きな影響を及ぼしていた事実には驚かざるを得ません。
最新の研究では一部種類とはいえ以前は不可能とされていた恐竜の体色の特定までができるようになっていたり、大腸菌を用いた10年・4万世代超に渡る進化の仮想実験によって種の進化は偶然の積み重ねに依る部分が大きいことが証明されつつあったりと、その進歩はとにかくすごいとしか言いようがない。
いままで常識だと思っていたことが次々と覆され、冗談でなく見ている世界が変わってしまうような貴重な読書体験でした。これは読むべき。
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