2010.11/30 [Tue]
水生大海『かいぶつのまち』
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★★★★☆
あの子たちには覚悟がたりない
演劇大会の前日、出演者たちが次々に体調を崩し、上演作品「かいぶつのまち」に見立てたかのように主人公に繰り返し凶器が届く。瑠美の脚本が使われていたために観劇していた元「羅針盤」メンバーは、後輩との壁の大きさに戸惑いながらも、その隙間に巣くう「かいぶつ」を探し始める。
「羅針盤」シリーズ 第2作――というよりは後日談的な内容。
事件自体もあくまでも“母校の演劇部”を揺さぶる程度の規模のもので、傍から見れば事件ですらないかもしれない。前作のように膝を打つようなミステリ的展開もありません。そういったものを期待している方はどうぞ、お手に取らずに。ただし言っておくと、面白かったです。
本音と建前を使い分け、仲間とそれ以外の人間との間に明確な線引きを求める思春期の彼ら。表面上の関係に波風を立たせないようにと、直接相手にぶつけることを避けてしまった「言葉」がやがて生き場を失い、自分の中で大きくなっていく。そんなとき、零れ落ちてしまった本当の気持ちがこの事件にまで発展してしまいます。自分に置き換えるまでもなく、あのときのほんの少しの悪戯心が一歩間違えばこうなっていたかも、という危うさと恐ろしさが存分に感じられました。
給食の牛乳を放っておいたらヨーグルトになるのか、と教室に隠して次の日に学校行ったら悪臭騒ぎですよ。私のあの出来心だってほんの少しのズレで取り返しのつかない大事に発展していたかもしれません(ごめんなさい。反省してます)
読んでいるとみんなもっと腹を割って話せば良かったのにとか思うんですけど、なかなかそうもいかなくて。人には言いたくない心の内はどうしたってある。何でもずばずば言っちゃえばそれで終わりってわけでもない。難しいですね、人間関係は。
そういった心の闇は前作の犯人の動機とも共通してくるところで、それだから瑠美たち羅針盤の元メンバーも動かなきゃ、と思うわけです。人の不幸を喜ぶやつは許せないから。二度とあの悲劇を繰り返したくはないから。そう思うと既に1作で“完結した物語”として成立していた前作のキャラの続投にも納得がいきます。ぽっと出のキャラとは説得力が違う。閉じたセカイの内と外を描く都合上、立ち位置的にも非常に重要なポジンションです。
決してキャラクター小説ではないのですが、各人のキャラがきちんと立っているのでナチュラルに愛着も沸きます。あの事件に決着をつけたその後も、それぞれが壁にぶつかりつつも前向きに進んでいるのには安堵しました。
渡見先生もご健在のようで。『羅針盤』当時も堅物ながら理解のある人だとは思っていました。そのスポ根精神、普通に好きですよ。
犯人の告発をそのまま劇に乗せてやってしまうケレン味溢れる演出は、さすが伝説の「羅針盤」。あの状態にすれば下手な言い訳や打ち切って退場というのもなかなかできない。会場・観客までも取り込んだその空気感そのものをひとつの”作品”として成立させているのは素晴らしいです。探偵小説ってつまりはこれですよね。探偵と犯人のやりとりを観客(その他の登場人物&読者)が固唾を呑んで見守るっていう。
あの「かいぶつのまち」を鑑賞した人は、最初は寓話的なファンタジーだと思って見ています。それが終盤で激変、たぶん戸惑ったでしょう。しかし後で橘学院をめぐる事件を知ったとき、その作品の核に気付くハズです。この「かいぶつのまち」の劇自体が、橘学院高校で起こった事件の隠喩であり、それに現在進行形で決着をつけさせた一度きりの特別な舞台であったと。
犯人が「かいぶつのまち」になぞらえて糸川を追い込んだように、生徒もまた一連の凶行を「かいぶつのまち」に見立てて断罪を行った。この図式、かなり完成度高いです。
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