2010.11/24 [Wed]
東野圭吾『容疑者Xの献身』
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★★★☆☆
彼の本意ではないだろうけど、あなたが何も知らないままだというのは、僕には耐えられない
天才数学者でありながら不遇な日々を送っていた高校教師の石神は、一人娘と暮らす隣人の靖子に秘かな想いを寄せていた。彼女たちが前夫を殺害したことを知った彼は、二人を救うため完全犯罪を企てる。だが皮肉にも、石神のかつての親友である物理学者の湯川学が、その謎に挑むことになる。
「ガリレオ」シリーズ 第3作。
以前から読んでみたかった探偵小説関連の評論に容疑者X論争についての考察が載っていたため、ネタバレを避ける都合から、いまさらながら、かの超有名作『容疑者Xの献身』を読んでみました。
――とはいえ私は友人に薦められて『どちらかが彼女を殺した』を読んでからというもの、筋金入りのアンチ東野圭吾。流行っている意味がわからない。いったいみんな、東野作品のどこに惹かれてるの?と真顔で問い質したいくらい。
本作でも相変わらず文章は淡白で単調。物語に起伏がない。地の文が“説明”以上の役割を果たしていないので、盛り上がりにも欠けます。
ただし今回の場合は狙ってか狙わずか、それがプラスに作用しています。常にあっさり、淡々と紡がれてきた物語が、最後の最後で大きく瓦解するからです。それによって本書のラストシーンは、他の場面とは明らかに一線を画した印象深さがあります。まぁ、それで感動するかと訊かれるとまったくそんなことはないのだけど。
そう言葉を飾り立てたところで石神の行為はストーカー以外の何者でもないし、工作に関していえば残忍かつ残虐で、最悪な自己中心的行動。他人に掛かる負荷なんてまるで考えていない最低の行為です。
これに対して「純愛」や「泣ける」などといった美辞麗句を並べ立て、一様に褒めちぎるレビューばかりの状況は「怖い」とすら感じます。どこが一途な想いなんだか。結局のところ、勝手な自己犠牲に陶酔してるだけじゃないですか。登場人物たち全員が「純愛」で納得しちゃっているのも、しっくりこない。
石神が靖子と出会うまでにそこまで思い詰めていた理由も謎。靖子さんも最後の最後で急に気が変わりすぎていて、うーん。第一、石神がどの程度天才なのかもあまり明確に伝わってこなっかったり。読んでいると浜村渚の方が数学ができそうなんだよなぁ。全体的にキャラクターについても描き込み不足。
それはさておき。
(以下、例のトリックについてのネタバレあり)
さて。作劇的な不満をぶちまけたところでいよいよ本題。例の、本格か否かでミステリ小説界を二分させたトリックについての私なりの見解です。
私自身、読み終えたときは二階堂黎人と同じくこれは卑怯だと思いました。
たとえば、犯行日時についてですが、実際の犯行日が何月何日であるかは初めの時点では完全に隠されています。犯行を行ったその瞬間までに実際の犯行日が9日であったということに辿りつくための伏線は皆無。それどころか、石神が工作を行った次の日のシーンで、いきなり犯行日が10日であるというセリフが飛び出してきます。私も読み進めている最中、あまりに唐突に出てきたので「そうだったっけ?」と気になってページを戻って探してみたのですけれど、それ以前のページに年月日への言及はありませんでした。で、そこが肝でした、と。なーんじゃそりゃー (by.Buono!)
これはどう考えてもフェアじゃない。だって疑っても答えには辿りつけないんだもん。「雛祭りから○日後」みたいな描写をさらっと入れておいてくれるだけでも随分と違ったと思うんだ。その後も靖子や石神の視点において全シーンでこの“真相隠し”を行っているのだから、これは手掛かりを意図的に伏せたといわれても仕方ない。
で、す、が。
ここで、一度冷静になって考えた私は気付いてしまいました。そもそもそこに突っかかったこと自体が的外れだったのかも、と。本作の核となるトリックは“映画チケットによるアリバイトリック”と“死体増産による犯行日時操作トリック”の履き違えではなかったのです。
今回の容疑者X論争で争点となったポイントはある描写の意図的な隠蔽でした。適切なヒントを与えず、犯行日時が本来は9日であったことをあろうことか全編通して隠し続けたために本格ではない、という意見が噴出するに至ってしまいました。しかし、よく思い返してみてください。ミステリ小説のトリックにおいて、この作品とまったく同じ構造のものがありますよね?
それは叙述トリックです。女性の登場人物Aを男性であるように見せる際、当然のことながら読者には“A=女性”という一点の事実は伏せられています。そして、その一点だけをはっきりと描写させないまま全力で騙そうと仕掛けてくるのです。
この『容疑者Xの献身』も同じでした。犯行日が9日である――この一点のみを伏せたままで物語が進行し、全力で読者に誤解を植えつける。これはもう、叙述トリックと何ら変わりません。叙述トリックの変種型です。
要するに、われわれ読者が本当に見抜かねばならなかったのは、この作品における異なった視点(作中で言及)が「“映画チケットによるアリバイトリック”と“死体増産による犯行日時操作トリック”の履き違え」ではなくて、「“アリバイトリック”と“叙述トリック”の履き違え」を指していた、という事実だったわけです。
前者のチケットor日付操作は、突き詰めれば両方ともアリバイトリックの一種なので根本的な視点の転換には至っていないですしね。作中人物に対して前者の、メタレベルにおいては後者のトリックが二重に敷かれていたと見るのが正しいと思います。
うん、普通に本格ミステリです。
てゆーか、東野圭吾キライなのにいつも考察が長くなる。
どういうことなの。
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