2010.10/07 [Thu]
アニメ『神のみぞ知るセカイ』第1話 を見た、んだけど……
若木民喜『神のみぞ知るセカイ』のアニメが遂に始まりました。
ギャルゲー界の“落し神”の異名をとる高校生・桂木桂馬が悪魔の女の子・エルシィと組んで
地獄から逃げ出した“駆け魂”を狩るため、駆け魂に憑かれたリアル女子の心のスキマを「恋愛」を使って埋めていく
という設定の本作。
一見、単なるヲタ向け妄想マンガに終わりそうな設定を
各話毎にヒロインが抱える心の問題と解決を真摯に描いたストーリーと
ミステリ小説ばりの理詰めで攻略対象の娘を落としていく展開で一線を画し、
さらには物語の核に旧地獄の封印と駆け魂脱走という謎まで横たえていて
そちらの面でも目が離せない。
――と、まぁ私が週間連載で読んでいるマンガの中では
『ONE PIECE』と『キン肉マンⅡ世』の次くらいに次回を楽しみにしている作品なわけですよ。まさに神作品。
なので今回のアニメ放送はかなり楽しみにしていました。
が。見てみて思った。ちょっとこれ、微妙じゃん?(中の人繋がりであむちゃん風に)
うん。
画がキレイなのはすごく嬉しいんだけどね。キャラデザの等身が原作に比べて少し高く、違和感があったのと
桂馬の声が思っていたより低かったこと、エルシィが普通に美人で胸の大きいお姉さんだったこともまぁ良いです。
問題は、お話のスジだけを追ったような薄っぺらさ。
なんで歩美が桂馬に惚れたのかが、まったく伝わってこなかった。意味がわからない。
桂馬と歩美の絡み=会話が圧倒的に少ないため、恋愛に至る流れがかなり唐突に感じます。
で、こんなんだったっけと原作1巻を確認してみたのですが、やってることは殆ど同じなんですよね。
じゃあ何が違うのかと考えてみると、まず桂馬の本気度合い。
アニメの桂馬は始終余裕で進めていきますが、
原作では結構泥臭く「告白しにいくぞ」と宣言する場面では等身大の真剣さだからこそ響いてくるものがあります。
そしてこれが何より重要だったのですが、攻略に掛けた時間というか密度ですね。
歩美に何とも思われていないところから、エルシィ登場を挿んで落として→告白を20分弱に詰め込んだのが悪いです。
とんとん拍子、息のつく間もなくなく物語が進展していくので歩美の感情が現在進行形で変化していく様を非常に表現しにくい。
この点、原作の第1話では同じく1話のみでの攻略になっているのですが
分量にして50ページ超、読者に付き合わせているため読むこと自体に労力が掛かり、
その費やされた労力がそのまま作中時間内の桂馬の奮闘劇へとリンクするカタチになっています。
自分の読んだ分量が、歩美の感じた桂馬と関わった時間に擬似的に重なるわけです。
だからこそあの話に説得力が生まれたんだと思います。
この、作品とそれを受け取る側のメタ的な時間差の利用が上手かったアニメが
『涼宮ハルヒの憂鬱』の「孤島症候群」前後編でしょう。
この前後編、本放送では前編と後編の間にまったく関係のない話を1本ねじ込んでいましたが
これによって、続けて見ると丸わかりで見抜くのが簡単な前編での古泉の矛盾した発言を
1週間おくことによって視聴者の記憶からある程度風化させることに成功しています。
で、2週間後に後編を見た際に「そういえば!」となる。
強制的に記憶に埋没させるのは伏線としてはちょっと反則気味なんですけど、上手いですよね。
ま、関係のない話をしてしまった上に原作厨的な意見たらたらですけれども
次回もちゃんと見ようと思います。
『刀語』以外の深夜アニメは久し振りに見たのでなんだか懐かしい気分。
ギャルゲー界の“落し神”の異名をとる高校生・桂木桂馬が悪魔の女の子・エルシィと組んで
地獄から逃げ出した“駆け魂”を狩るため、駆け魂に憑かれたリアル女子の心のスキマを「恋愛」を使って埋めていく
という設定の本作。
一見、単なるヲタ向け妄想マンガに終わりそうな設定を
各話毎にヒロインが抱える心の問題と解決を真摯に描いたストーリーと
ミステリ小説ばりの理詰めで攻略対象の娘を落としていく展開で一線を画し、
さらには物語の核に旧地獄の封印と駆け魂脱走という謎まで横たえていて
そちらの面でも目が離せない。
――と、まぁ私が週間連載で読んでいるマンガの中では
『ONE PIECE』と『キン肉マンⅡ世』の次くらいに次回を楽しみにしている作品なわけですよ。まさに神作品。
なので今回のアニメ放送はかなり楽しみにしていました。
が。見てみて思った。ちょっとこれ、微妙じゃん?(中の人繋がりであむちゃん風に)
うん。
画がキレイなのはすごく嬉しいんだけどね。キャラデザの等身が原作に比べて少し高く、違和感があったのと
桂馬の声が思っていたより低かったこと、エルシィが普通に美人で胸の大きいお姉さんだったこともまぁ良いです。
問題は、お話のスジだけを追ったような薄っぺらさ。
なんで歩美が桂馬に惚れたのかが、まったく伝わってこなかった。意味がわからない。
桂馬と歩美の絡み=会話が圧倒的に少ないため、恋愛に至る流れがかなり唐突に感じます。
で、こんなんだったっけと原作1巻を確認してみたのですが、やってることは殆ど同じなんですよね。
じゃあ何が違うのかと考えてみると、まず桂馬の本気度合い。
アニメの桂馬は始終余裕で進めていきますが、
原作では結構泥臭く「告白しにいくぞ」と宣言する場面では等身大の真剣さだからこそ響いてくるものがあります。
そしてこれが何より重要だったのですが、攻略に掛けた時間というか密度ですね。
歩美に何とも思われていないところから、エルシィ登場を挿んで落として→告白を20分弱に詰め込んだのが悪いです。
とんとん拍子、息のつく間もなくなく物語が進展していくので歩美の感情が現在進行形で変化していく様を非常に表現しにくい。
この点、原作の第1話では同じく1話のみでの攻略になっているのですが
分量にして50ページ超、読者に付き合わせているため読むこと自体に労力が掛かり、
その費やされた労力がそのまま作中時間内の桂馬の奮闘劇へとリンクするカタチになっています。
自分の読んだ分量が、歩美の感じた桂馬と関わった時間に擬似的に重なるわけです。
だからこそあの話に説得力が生まれたんだと思います。
この、作品とそれを受け取る側のメタ的な時間差の利用が上手かったアニメが
『涼宮ハルヒの憂鬱』の「孤島症候群」前後編でしょう。
この前後編、本放送では前編と後編の間にまったく関係のない話を1本ねじ込んでいましたが
これによって、続けて見ると丸わかりで見抜くのが簡単な前編での古泉の矛盾した発言を
1週間おくことによって視聴者の記憶からある程度風化させることに成功しています。
で、2週間後に後編を見た際に「そういえば!」となる。
強制的に記憶に埋没させるのは伏線としてはちょっと反則気味なんですけど、上手いですよね。
ま、関係のない話をしてしまった上に原作厨的な意見たらたらですけれども
次回もちゃんと見ようと思います。
『刀語』以外の深夜アニメは久し振りに見たのでなんだか懐かしい気分。
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