2010.02/13 [Sat]
万城目学『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』
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ご主人とだけってことは、それってつまり……愛の話ということかしら
かのこちゃんは小学一年生の元気な女の子。マドレーヌ夫人は「外国語」を話し、犬の玄三郎を夫に持つ優雅な猫。その毎日は、思いがけない出来事の連続で、不思議や驚きに充ち満ちている。
良い話だったよぉ ・゚・(ノД`;)・゚・
普段から大衆ギライの精神を標榜している自分は、一般の支持が高い大衆的な人気作家の作品なんて読もうとも思わないし、どんなに流行っている小説であろうが滅多なことで手を出したりはしません。まぁその最たる理由は、流行本の多くが図書館でもリクエスト200件越え、面白いかどうかもわからないのにハードカバーなんて恐ろしく値の張るものに手は出せない!という大変残念な思考に拠るところも大きいわけですが……。
しかし万城目学といったら、みんなだいすき@Buono!な売れっ子作家じゃないですか。なんか買っちゃいましたよ。その上、ありえないくらいにじんときて、もうなんかね……うん。2010年2月現在人生の中の好きな小説ベスト10にランクインすること確実ですよ、こんなん。
しかもこれ、本当にたまたま手に取っただけなんですよね。書店で見つけ、綺麗な装丁とタイトルに惹かれて。よく見るとPOPに万城目学のメッセージ的なものが書かれていて、ふうん万城目か、たまには読んでみるかな、と買って帰ったわけですが――すみません嘗めてました。なんと素晴らしい小説だったことか。西尾維新の『クビキリサイクル』の時もそうでしたけど、運命の本との出逢い(?)は得てして偶然に訪れるものです。これだから本屋通いはやめられない。
(そんなわけで運命の逸品について、以下ネタバレ)
本作はかのこちゃんとマドレーヌ夫人のふたつの視点をもって進行します。かのこちゃんが小学生に入学し、楽しく過ごす毎日と、かのこちゃんの家の外飼い猫であるマドレーヌ夫人と夫である玄三郎さんや近所の猫たちとのやりとりの話。このふたつが時にリンクしつつ、一本の物語が紡がれていくわけです。
作品内の時間ではほんの数ヶ月を描かれただけのものですが、冒頭では未だに指しゃぶりをしていたかのこちゃんが“智恵が啓かれ”て以来、以前にも増して好奇心が旺盛になり、小学校に入学して色々なことを経験するうちにどんどんと成長していきます。最後なんかはこれが冒頭と同じかのこちゃんなのか?というくらいにまでの成長を見せます。
ここで触れておきたいのが、この作品でのかのこちゃんの成長には何ら大きな障害もなかったということです。よくある少年や少女の成長を描いた小説というのは、そこに何かしらの壁――“事件”があって、それを乗り越えて初めて“成長する”という手法がとられます。しかし本作ではそうじゃない。かのこちゃんが小学校に入り、日々を過ごしていく中で自然と心が成長していくんですね。だから、読み終わってもどこのどのエピソードでかのこちゃんが成長するきっかけになったのかなんて指摘はできません。ただ、毎日を生きていくうちにいつの間にか成長しているんです。これはたぶん、現実でもそうだと思います。そしてその様子が、作品内で本当に自然に描かれている。読み切った後に、どこが成長ポイントだったのかは指摘できないけれど、物語の初めと終わりでかのこちゃんが別人のように大きくなったことには何の違和感も湧かないんです。毎日顔を合わせている友人の身長が伸びていることには気付かないように、かのこちゃんの心の成長もまた気付かないうちに日々進んでいて。ふと立ち止まってみたときに「あ、大きくなってる」と気付く――そんな感じです。
そんなかのこちゃんの物語に対して、マドレーヌ夫人の方の話はなかなかにファンタジックです。猫又の話を夫から聞いた後、急な眠気に襲われたかと思ったら尾っぽが二股に分かれており、さらには目が合った人間と中身が入れ替わってしまいます。人間となった夫人は“人間でいる間にしかできないこと”を実行し、それがまたかのこちゃんの物語に絡んできます。
夫人のセリフでなんといっても印象的だったのは言葉が通じれば種なんて関係ない、夫婦になれるということ。先月観た『アバター』なんかでもそうでしたが、たとえ種が違ったとしても、極論、人を好きになるのは心であり、会話を交わせればそこに好意が生まれることは充分に有り得ることです。だから言葉が通じる夫と自分はたとえ犬と猫であろうが、子供が作れなかろうが夫婦になり得るのだ、と。愛の極地ですね。そして真理。
それだからこそ玄三郎さんのためになんとか願いを叶えてあげたいという夫人の行動の真剣さも伝わってきますし、別れのエピソードもとても感動的なものに仕上がっています。この“別れ”がまた、かのこちゃんの物語の方にも有機的に繋がってくるのだから万城目学の作家としての力が窺えます。
それにしてもこの物語は、転校経験がある自分にはかなりぐっときましたね。“転校”って響きは小学生くらいの子供にとってはすべてを破壊するような力を持っていて、究極の悪魔みたいなものですよ。その言葉を聞かされただけで時間が止まってしまうような感覚に陥るそんな気持ちも、すごくわかります。そんな理由もあって、かのこちゃんとすずちゃんの“おとなのお別れ”のシーンはもう――。それで、ふたりの思い出のお茶会で使っていた“おとなの言葉”の少しおどけたような、着飾ったような感じがよりこちらの感情を掻き立てます。
何、「刎頚の友でござる」って。感情移入なんてまったくしないで読書をする人間ですけれど、これには完全にやられました。感情の波に呑まれそうになって、なんとももの哀しいような。読んでいて顔がくしゅくしゅになりましたよ。
と、まあそんなところで閑話休題。前述のようにこの作品には犬と猫の夫婦の話が出てくるのですが、革新的なのが犬の言語体系は基本的に猫とは異なるという設定。そのため猫は人間の言葉は理解・習得は可能でも犬の言葉は死ぬまでわからない、ただの煩い鳴き声にしか聞こえないという。なので犬の言葉は「外国語」と称されています。種が違うのだから当然といえば当然なのですが、こういった動物ものでは動物同士の会話は当たり前のように行われていて、人間だけがわからないというのが殆どです。それなのにこの発想。斬新な着眼点につい関心してしまいました。
ちなみにかのこちゃんのお父さん曰く人間の言葉が話せる鹿もいるそうで、かのこちゃんの名前は鹿に相談して付けたのだそうです。これって、かのこちゃんのお父さんが『鹿男あをによし』の主人公ってことでしょうか?
いや、読んだこともないし、ドラマ版も見ていなかったので如何とも判断がつき兼ねるのですが……。
もしそうなら『鹿男あをによし』も文庫落ちし次第即買います(それでもハードカバーは買わないw
本書でかなりの感銘を受けたので、作風は異なるみたいですけど『鴨川ホルモー』の購入も考えても良いかも。
それにしても
――うん、良い小説でした。
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NoTitle
可愛いお話で、心地よかったです。
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