2009.11/23 [Mon]
勇嶺薫「午前零時のシンデレラ」は本当にあったのか?
勇嶺薫「午前零時のシンデレラ」の感想がああいう終わり方だったので、ここでは個人的な見解を述べたいと思います。
ネタバレが前提なので未読の方はご注意を。
なお、作品の本感想はこちらから。
自分は本作に関しては、「なかった」という見解に一票投じたいですね。
そこで、今回はこの作品の事件は「なかった」ということを最終的な到達目標に、まほろさん的に推理を進めていきたいと思います。
事件は「なかった」(最終到達目標)
最初に注目したいのがこの『午前零時のシンデレラ』の構成です。
本作は章で分けると、
・序論 -夢水清志郎という人物-
・第一章 犯行状況――FULL TIME
・第二章 人形が殺した?――IF……?
・第三章 はったり――SOME ANSWER
・第四章 南々西の風――HOT WIND
・おまけ
――の6部構成です。
序論の部分で美里が教授について語る場面で「買ってきたばかりの推理小説の犯人を、目次を見ただけで当ててしまったことがある」という説明をしています。
このときの推理小説の目次はそのまま本作の各章のタイトルと同じ
・第一章 犯行状況――FULL TIME
・第二章 人形が殺した?――IF……?
・第三章 はったり――SOME ANSWER
・第四章 南々西の風――HOT WIND
――で4部構成です。
冒頭のエピソードでは教授は「それぞれの章の最初の文字だけ読んでいくと“犯人は南”である」と述べています。おまけの部分で教授が言っていた“FISH”もまさにこれと同様で、各章のタイトルにつくサブタイトルの最初のアルファベットを繋げて読むと“FISH”であることがわかります。つまり、この物語自体が“ホラ話”=「“なかった物語”なんだよ」というメッセージにとれるわけです。
夢水清志郎の発言より、
=この作品の「本編」は“FISH”(大前提)
=事件は「なかった」(最終到達目標)
これを証明していけば良いわけです。
さて。自分が「なかった」説を支持する根拠のひとつに、「序章」「おまけ」と「本編」の乖離が挙げられます。「序章」や「おまけ」で「本編」で起こった事件についてまったく触れられていないというのは気になるところです。これから事件が起こるという仄めかしもなければ、あの事件がどうだったという回想も、感想もない。しかも第一章の始まる前に“本編”とわざわざ銘打っている。これってかなり不自然ではないでしょうか。
逆に、第一章~第四章を「本編」としてひとまとめにするなら、この作品は「序章」「本編」「おまけ」の3部構成としても見られます。
この作品は「序章」「本編」「おまけ」の3部構成(仮定)
ここで、はやみねかおるは“この時のわたしはあんな事件が待っていようとは思ってもいなかった”的な言い回しを序章の最後に付けるのが好きな作家であることも指摘しておきたいと思います(主に夢水シリーズ)
そんなわけで、「序章」「おまけ」が“現実部分”で事件自体が“FISH”だったからこそ、「序章」と「おまけ」の部分をわざわざ区分したと考えると、それらはそこまで不自然ではありません。むしろ、そういった構成にしなければオチが生きてこないからです。実際のところ、ああいったオチをつけなければ「おまけ」は完全削除で序章も不自然なく第一章に組み込めたハズです(ただ、その場合でも序章、第一章、第二章~と続く可能性は充分に考えられます)
そしてなんといっても、最大の決め手は「おまけ」部分の1行目の記述。
この一文は決定的だと思います。
夏休みのある日、クーラーのきいた論理学研究室でゴロゴロしているわたしに、教授が言った。
第四章のラストで、シャンデリアを弁償するハメになったにも関わらず――そこで美里は土木工事でも海水浴場の監視員でもバイトは沢山あると言っていたにも関わらず、夏休みに研究室でゴロゴロしている事実。普通に考えて、シャンデリアの弁償代金を稼ごうと思ったら、勿論そんな余裕ないですよね。
シャンデリア弁償の解決方法(前提条件1)
→美里が夏休み中にバイト(結論A)
→教授の貯金から捻出(結論B)
→支払義務がなくなる(結論C)
状況からして既に(結論A)は否定済み。
続いて(結論B)ですが、教授が自らの貯蓄から出したというセンはまったくありません。『出逢い+1』で大学教授時代の夢水清志郎は家賃滞納の常習であったことが記されているからです。それ以前に、仮に手元にお金があったのなら美里に相談はしなかったでしょうし。
(結論A)は矛盾
(結論B)は矛盾
ということは教授と美里はシャンデリア代を持っていなかったにも関わらず、休み前には夏中働く決意を秘めていたにも関わらず(美里に限ってですけど)、夏休みに部屋でゴロつく余裕がある。それは即ち、お金を払う必要はなくなったということ。
つまり(結論C)以外の選択肢はナシになる。
では、支払義務がなくなる条件とは?
(前提条件1)―(結論C)より
支払義務がなくなる条件(前提条件2)
→南家で起きた殺人事件の真相を明かすこと(結論)
唯一これだけです。
しかし、南家真相を南家の面々に明かせないからこそ背負い込んだ弁償代を、真相を明かすことでチャラにするのは本末転倒であり、何より教授のポリシーに反する。と、矛盾が発生します。
(前提条件2)―(結論)に矛盾
よって、(前提条件1)―(結論A)(結論B)(結論C)はすべて矛盾
ということは最初の前提条件が間違っているということ。
どこかのうぐいすさんもそう言ってます。
即ち、“お金を払う必要がなくなった”のではなく、“お金を払う必要が元々なかった”
お金を払う必要が元々ない状況(前提条件3)
→シャンデリア弁償の約束はなかった(結論)
これしかありません。
となると、ここからは自然発生的に。
=シャンデリア破壊はなかった(結論2)
=南家での捜査はなかった(結論3)
=南家での事件はなかった(結論4)
ここで「序章」「本編」「おまけ」の乖離性を指摘、
この物語は6部構成でなく、大きく分けて3部構成という(仮定)を適用。
この作品は「序章」「本編」「おまけ」の3部構成(仮定)
そこから南家の事件を抜き取ると……
南家での事件はなかった(前提条件4)
→「本編」はなかった(結論)
=この作品の「本編」は“FISH”(大前提)
=事件は「なかった」(最終到達目標)
以上、証明終了。
いかがでしょう?
叙述トリックとは異なりますが、こういうことができるのも小説ならではですよね。
ネタバレが前提なので未読の方はご注意を。
なお、作品の本感想はこちらから。
自分は本作に関しては、「なかった」という見解に一票投じたいですね。
そこで、今回はこの作品の事件は「なかった」ということを最終的な到達目標に、まほろさん的に推理を進めていきたいと思います。
事件は「なかった」(最終到達目標)
最初に注目したいのがこの『午前零時のシンデレラ』の構成です。
本作は章で分けると、
・序論 -夢水清志郎という人物-
・第一章 犯行状況――FULL TIME
・第二章 人形が殺した?――IF……?
・第三章 はったり――SOME ANSWER
・第四章 南々西の風――HOT WIND
・おまけ
――の6部構成です。
序論の部分で美里が教授について語る場面で「買ってきたばかりの推理小説の犯人を、目次を見ただけで当ててしまったことがある」という説明をしています。
このときの推理小説の目次はそのまま本作の各章のタイトルと同じ
・第一章 犯行状況――FULL TIME
・第二章 人形が殺した?――IF……?
・第三章 はったり――SOME ANSWER
・第四章 南々西の風――HOT WIND
――で4部構成です。
冒頭のエピソードでは教授は「それぞれの章の最初の文字だけ読んでいくと“犯人は南”である」と述べています。おまけの部分で教授が言っていた“FISH”もまさにこれと同様で、各章のタイトルにつくサブタイトルの最初のアルファベットを繋げて読むと“FISH”であることがわかります。つまり、この物語自体が“ホラ話”=「“なかった物語”なんだよ」というメッセージにとれるわけです。
夢水清志郎の発言より、
=この作品の「本編」は“FISH”(大前提)
=事件は「なかった」(最終到達目標)
これを証明していけば良いわけです。
さて。自分が「なかった」説を支持する根拠のひとつに、「序章」「おまけ」と「本編」の乖離が挙げられます。「序章」や「おまけ」で「本編」で起こった事件についてまったく触れられていないというのは気になるところです。これから事件が起こるという仄めかしもなければ、あの事件がどうだったという回想も、感想もない。しかも第一章の始まる前に“本編”とわざわざ銘打っている。これってかなり不自然ではないでしょうか。
逆に、第一章~第四章を「本編」としてひとまとめにするなら、この作品は「序章」「本編」「おまけ」の3部構成としても見られます。
この作品は「序章」「本編」「おまけ」の3部構成(仮定)
ここで、はやみねかおるは“この時のわたしはあんな事件が待っていようとは思ってもいなかった”的な言い回しを序章の最後に付けるのが好きな作家であることも指摘しておきたいと思います(主に夢水シリーズ)
そんなわけで、「序章」「おまけ」が“現実部分”で事件自体が“FISH”だったからこそ、「序章」と「おまけ」の部分をわざわざ区分したと考えると、それらはそこまで不自然ではありません。むしろ、そういった構成にしなければオチが生きてこないからです。実際のところ、ああいったオチをつけなければ「おまけ」は完全削除で序章も不自然なく第一章に組み込めたハズです(ただ、その場合でも序章、第一章、第二章~と続く可能性は充分に考えられます)
そしてなんといっても、最大の決め手は「おまけ」部分の1行目の記述。
この一文は決定的だと思います。
夏休みのある日、クーラーのきいた論理学研究室でゴロゴロしているわたしに、教授が言った。
第四章のラストで、シャンデリアを弁償するハメになったにも関わらず――そこで美里は土木工事でも海水浴場の監視員でもバイトは沢山あると言っていたにも関わらず、夏休みに研究室でゴロゴロしている事実。普通に考えて、シャンデリアの弁償代金を稼ごうと思ったら、勿論そんな余裕ないですよね。
シャンデリア弁償の解決方法(前提条件1)
→美里が夏休み中にバイト(結論A)
→教授の貯金から捻出(結論B)
→支払義務がなくなる(結論C)
状況からして既に(結論A)は否定済み。
続いて(結論B)ですが、教授が自らの貯蓄から出したというセンはまったくありません。『出逢い+1』で大学教授時代の夢水清志郎は家賃滞納の常習であったことが記されているからです。それ以前に、仮に手元にお金があったのなら美里に相談はしなかったでしょうし。
(結論A)は矛盾
(結論B)は矛盾
ということは教授と美里はシャンデリア代を持っていなかったにも関わらず、休み前には夏中働く決意を秘めていたにも関わらず(美里に限ってですけど)、夏休みに部屋でゴロつく余裕がある。それは即ち、お金を払う必要はなくなったということ。
つまり(結論C)以外の選択肢はナシになる。
では、支払義務がなくなる条件とは?
(前提条件1)―(結論C)より
支払義務がなくなる条件(前提条件2)
→南家で起きた殺人事件の真相を明かすこと(結論)
唯一これだけです。
しかし、南家真相を南家の面々に明かせないからこそ背負い込んだ弁償代を、真相を明かすことでチャラにするのは本末転倒であり、何より教授のポリシーに反する。と、矛盾が発生します。
(前提条件2)―(結論)に矛盾
よって、(前提条件1)―(結論A)(結論B)(結論C)はすべて矛盾
ということは最初の前提条件が間違っているということ。
どこかのうぐいすさんもそう言ってます。
即ち、“お金を払う必要がなくなった”のではなく、“お金を払う必要が元々なかった”
お金を払う必要が元々ない状況(前提条件3)
→シャンデリア弁償の約束はなかった(結論)
これしかありません。
となると、ここからは自然発生的に。
=シャンデリア破壊はなかった(結論2)
=南家での捜査はなかった(結論3)
=南家での事件はなかった(結論4)
ここで「序章」「本編」「おまけ」の乖離性を指摘、
この物語は6部構成でなく、大きく分けて3部構成という(仮定)を適用。
この作品は「序章」「本編」「おまけ」の3部構成(仮定)
そこから南家の事件を抜き取ると……
南家での事件はなかった(前提条件4)
→「本編」はなかった(結論)
=この作品の「本編」は“FISH”(大前提)
=事件は「なかった」(最終到達目標)
以上、証明終了。
いかがでしょう?
叙述トリックとは異なりますが、こういうことができるのも小説ならではですよね。
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