2013.01/26 [Sat]
映画『仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』
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★☆☆☆☆
これまで、長きに渡って地球の平和を守り続けてきた仮面ライダーとスーパー戦隊。しかし、その歴史を覆す事態が発生する。仮面ライダーディケイド=門矢士がゴレンジャーから始まるすべてのスーパー戦隊を、ゴーカイレッド=キャプテン・マーベラスがすべての仮面ライダーを、それぞれ攻撃し始めたのだ。今やディケイドは、これまでライダーと戦ってきた悪の組織が大同団結して誕生した大ショッカーの大首領。ゴーカイレッドもまた、大ザンギャックの大帝王として君臨していた。一体なぜ、こんなことになったのか? 大ショッカーや大ザンギャックの幹部たちが口にする“ビッグマシン計画”とは果たして? 戦いの謎を解くため、時の列車デンライナーはオーナー、ナオミとともに過去の時間へ飛ぶ。 (2012年 日本)
「スーパーヒーロー大戦」第1作。
プロデューサー・白倉伸一郎×脚本・米村正二×監督・金田治のスタッフ陣を見ただけで駄作とわかる代物ですが、まずはともかく見てみないことには何も言えません。で、その結果……もはやまともにレビューを書くことすらも躊躇われるほどのクソ映画でした。
本作最大のキモは「仮面ライダー」と「スーパー戦隊」という東映の2大特撮シリーズをクロスオーバーさせたことであり、全主役ライダーに全スーパー戦隊、さらには歴代敵キャラが総出演する一大イベント作です。とはいえ、本来ならば「ライダー」と「戦隊」が同じ世界観に存在しているハズもなく、その問題をクリアするための装置として今回は並行世界を渡り歩く能力を持った仮面ライダーディケイド、歴代戦隊の力を持つ海賊戦隊ゴーカーイジャーがそれぞれの軍勢の親玉を務めます。
しかし、まぁこれが杜撰の何のって。まず第一にディケイドやゴーカイレッドが戦っている世界がどこなのかが明確にされていない。たとえば、現行の「戦隊」である『ゴーバスターズ』は環境に優しい新エネルギー・エネトロンが人々の生活に溶け込んだ“新西歴”といった特殊な世界観が設定されているにも関わらず、ゴーバスターズの世界の中に『仮面ライダーフォーゼ』の面々がいる不思議。これが「戦隊」の「VSシリーズ」であれば、もともとが緩いつながりの中で作られているのでまだ構わないのです。
けれど、「ライダー」はそういうものじゃないでしょう。「戦隊」の世界は仮面ライダーが存在しない世界だと述べたのは他でもない『仮面ライダーディケイド』本編じゃないですか。百歩譲って、ディケイドが世界の壁を超えられたとしても、『フォーゼ』の弦ちゃんたちやゴーバスターズのメンバーにはそうした能力は備わっていないハズです。
このあたりのことは白倉P自身もだいぶ自覚しているようで、世界観の異なるヒーローを共演させても許容できるある種の「誤魔化し」としてディケイドを投入したことを雑誌インタビューで語っています。これがまた火に油を注いでくれます。
本来、パラレルワールドとは非常にデリケートな素材です。円谷プロは『ウルトラマンサーガ』で出自の異なる3ヒーローを破綻なく共演させるために、『大怪獣バトル』で過去にすべての世界の怪獣・宇宙人・ウルトラマンがM78世界(=ウルトラギャラクシー)に呼び出されたギャラクシークライシス事件が起こったという設定きを敷いており、さらにその上で『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国』にて並行世界や別の宇宙といったマルチバース理論を作品世界の中に落とし込んでいます。
これによってパラレルワールドものでありながらオリジナルを客演させること、どの物語もれっきとした正史であると主張することを可能たらしめたのです。
逆にいえば、そこまで体系づけないとSFとして観客を納得させられだけの下地をつくれないのです。
それが、昨今の「ライダー」映画はテレビと映画の設定が食い違っていようがお構いなしで劇場版を乱発し、挙句の果てにはちょっとの配慮で合わせられるハズの辻褄も最初から投げ捨ててしまっている。お祭り映画だから、なんてセリフが免罪符になるとでも思っているのでしょうか? 客にお金を払わせる以上、最低限の矜持は持って然るべきだと思うのですが、東映さんにはそんな気持ちはさらさらありません。兎にも角にも話題が作れれば良い、興収が良ければ内容はクソで構わない――こんな考えがまかり通っている現状ははっきり言って異常ですよ。
「細けぇことは良いんだよ!」はあくまでも観る側の意見であって、製作側が言って良いものではありません。
そんなやっつけ映画なので、キャラクターのやりとりも極めてテキトーです。本作では『仮面ライダーディケイド』から海東が、『仮面ライダーooo/オーズ』から比奈ちゃん、『海賊戦隊ゴーカイジャー』からハカセとジョーといった番組を越えた各キャラがパーティを組んで物語を回していき、これが新鮮で面白いポイントでもあるわけです。事実、海東なんかは偽悪的に見えて人一倍主人公していたりと、番組終了後の諸展開も踏まえて成長した姿を見せてくれます。
にも関わらず、脚本は何をとち狂ったのかクライマックスですべてを台無しにするような大ポカをやらかしている。いえ、ね。海東の心情を慮ると、士に対してキレるところまではアリだと思うんですよ。
でも、誰がどう考えたって「戦隊とライダーの頂点に立つのは云々」のセリフはおかしいでしょうよ。まったくそんな話はしてなかったじゃんよ。
しかも、海東は士に対して怒っているのに、その相手をするのが何故かフォーゼとゴーバスターズの現役チーム。ラストでマーベラスと握手を交わすのが士ではなく映司というのも謎すぎます。ゴーカイジャーのオーズへのゴーカイチェンジもね、あんなバズーカ撃つだけなのに変わる必要があったわけ?
大体そもそも、すべては芝居だったのさ!な展開は前年の『レッツゴー仮面ライダー』でもやっただろうに。芝居は芝居としてもザンギャックとショッカーが蘇った理由がわからないので、なぜ芝居を打つ必然性があったのかが1ミリも伝わってこない。
挙句、お決まりのセリフを言わせたいだけのようにしか見えない鳴滝と士のやりとり……。番組が終わっているのにいつまで鳴滝の正体を引っ張るつもりでいるの?馬鹿なの?死ぬの?
とにかく、こんなゴミみたいな映画ができたのは、愚かな連中がこれまでのダメ脚本映画を「お祭りだからおk」などと宣って迎合してきたからに他ならないわけで。東映様の殿様商売よりも、特撮ファンひとりひとりの意識の低さの方が遥かに問題であると観客側はよくよく自覚して反省すべきだと思います。
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