2009.08/17 [Mon]
柳広司『トーキョー・プリズン』
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★★★☆☆
そんなことはどうでもいい。
問題は、俺にとって何が本物の現実かということなのだ
戦時中に消息を絶った知人の情報を得るため巣鴨プリズンを訪れた私立探偵のフェアフィールドは、調査の交換条件として、囚人・貴島悟の記憶を取り戻す任務を命じられる。捕虜虐殺の容疑で拘留されている貴島は、恐ろしいほど頭脳明晰な男だが、戦争中の記憶は完全に消失していた。フェアフィールドは貴島の相棒役を務めながら、プリズン内で発生した不可解な服毒死事件の謎を追ってゆく。
『ジョーカー・ゲーム』で『このミス 2009』第二位をとった柳広司。他の作品を読んだことはありませんが、本作『トーキョー・プリズン』は意外にも本格ミステリっぽい作品であり、且つ本格ミステリっぽくない作品でもありました。
仮にも『このミス』二位という偉業を成し遂げた著者の作品に対して“意外”と評したのは、個人的に『このミス』は大衆的なものだと思っているからに他なりません。今までの読書の傾向からもわかると
思いますが、一般に流行っている本には殆ど手を出さない人間です。
で、その一般ウケする作品というのが所謂“ミステリー”だと思うんですよ。“事件”を通して、人の心の葛藤を描いたり、或いは“事件”を含めて作品全体に一種の冒険譚的にエンターテイメント性が重視されているもの。『このミス』もこれに基づいてランキング作品を決めているように感じます。だから、合わない。面白いとは思っても、求めている方向性とは異なる。
一方で、“ミステリ”は何より犯人や犯行のやり方、真相の意外さ、謎解きの面白さに重点を置いています。勿論、“ミステリ”も探偵のキャラが立っていて、舞台設定も“いかにも”――エンターテイメントであることには変わりないのですが、やっぱり“ミステリー”と“ミステリ”は似て非なるものというか、全然違うものだと思うのです。
だから、『このミス』より『本ミス』派の自分が“ミステリー”が好きという人と話しても微妙に趣味が食い違って、「あれー?」となってしまうわけです。
前置きが長くなりましたが、つまり何を言いたかったというと、『トーキョー・プリズン』は“『このミス』畑”の作品であるはずなのに、探偵と語り部が協力して不可能犯罪の謎を追うという、まるで本格ミステリさながらのシチュエーションで物語が進められるので驚いた、と。そういうことです。
それで本作、探偵役の囚人・キジマがシャーロック・ホームズさながらの洞察力と推理力で謎を見抜いていきます。他作品はわかりませんが、この作品においては著者は本当にホームズを意識しているようで、本家ホームズを彷彿とさせる描写が随所に見られます。ここらへんは解説でも触れられてますね。
ただ気になったのは“ホームズ・シリーズ”のずるさというか、そこは見習わなくて良くない?といったところまでオマージュしているところです。
たとえば、キジマが初対面の人間――捜査の相棒となる語り部・フェアフィールドの経歴なんかを見事に言い当てて驚かせるシーンがありますが、アレは本家ホームズでもそうですけど、探偵が言い当てる前に“探偵が知り得る情報”と同じだけの情報をこちら(読者)にもわかるように(=推理できるように)予めさり気に描写しておかないとフェアじゃないと思うんですよ。だって「君は~だね」と探偵が言い当てて相手を驚かせた後、何故それがわかったのかを説明するわけですが、そこで今までまったく描写されていなかった特徴をつらつらと挙げられても、こちらとしては「はぁ」と半ば気の抜けたように聞くことしかできないわけじゃないですか。だって、その“答え”に至る為のヒントが公示されていないんですもの。完全に“後だしジャンケン”です。
実は連続毒死事件の謎もホームズの“あの問題”を彷彿させます。読んだ方なら何のことを指しているかは明確だと思いますが。果たしてそれが可能なのか、という――。
そこまで真似なくても良いと思うんですけどね……
さて。ストーリーの方ですが、本作は“戦争ミステリー”と銘打つだけあって、終戦直後の混乱と廃墟の東京に生きる人々――どうやって生きていけば良いのかを模索する人たちの様子が描かれます。語り部のフェアフィールドが外国人ということもあって、馴染みの単語が「テンノウ」や「トーキョー」といった風にカタカナで表記され、それがあたかも東京を、現在の「東京」とはまったく別世界の、異質な荒廃都市「トーキョー」という存在に感じさせることに一役買っています。なので、読んでいてどこか不思議な感じがします。知っている街のハズなのに確実に違う、みたいな。当時を生きていない自分にはまったく想像できませんが、実際のところ、終戦直後の「トーキョー」は現在の「東京」は明らかに異なる街だったのでしょう。そして戦争の闇に囚われた人々が、その象徴ともいえる東京大空襲によって焼け野原と化した「トーキョー」に、未だに縛られている――だからこそタイトルが『トーキョー・プリズン』なんですね。『スガモ・プリズン』ではなく。「トーキョー」自体が人々の心を閉じ込める“プリズン”だった、と。
そういう社会派な面も割と前面に押し出されていて、なかなか読ませます。
とはいえ、“可能性”に頼ってものごとを語りすぎているという点はミステリとしてはネックでした。
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