2012.08/21 [Tue]
映画『ピープルVSジョージ・ルーカス』
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★★★☆☆
『スター・ウォーズ』最初の3部作は、ファンを圧倒し、未だ彼らを惹きつけてやまない。しかし、彼らがジョージ・ルーカスに抱く感情は、いつしか複雑な愛憎関係へと変化してしまった。ある者には尊敬される一方、ある者には悪魔視されてしまうジョージ・ルーカス。ファンは、なぜそこまでSWスペシャルエディションのリリースを非難し、新3部作に背を向けてしまったのか……? 神格化された監督と、ファンたちの間に勃発したバトルの様子を綴ったドキュメンタリー。 (2010年 アメリカ・イギリス)
都内の映画館で単館公開だったために観られなかった作品をレンタルしてきました。「SW」のコアなマニアたちがルーカスへの不満とSWを愛をぶちまけて、語りに語ったり90分間。ジョージ・ルーカスの生い立ちから始まり彼の作品に対する姿勢の変化、『EP4』公開時の熱狂ぶり、改変問題など最初から最後までSW尽くし(+ちょっとばかし「インディ・ジョーンズ」)の1本です。
本編はSWにオマージュを捧げた全6部で構成されており、映画の本編映像や世界中のファンが撮ったクオリティが高いんだか低いんだかわからないおバカ映像に載せて、著名人から一般人、さらにはマンダロリアンのボバ・フェットさん(コスプレ)まで、様々な人間がSWとルーカスを上げては落とし、称賛と罵倒をない交ぜに喋り倒します。
劇場初公開版と特別編とでは冒頭の「STAR WARS」のタイトルバックの進み方が数コマ違うという訴えには笑ってしまいました。どんだけ細かいんだよ、と。本場米国では“なかったもの”として扱われているこの初公開版ですが、幸いにして日本では以前にDVDリミテッドエデションの特典として同梱されたことがあって、Amazonなんかを見る限りでは現在も定価で入手可能のようです。そういう意味では日本のSWファンは結構恵まれているんですかねぇ。
『クローン・ウォーズ』の地上波放送は未定、スピンオフ小説は殆ど売れない上に次がいつ出るのかも不透明な状態で、ファンとしては飢えに飢えているわけですが。
封印問題でもうひとつ槍玉に挙げられたのは『ホリデースペシャル』です。チューイーの妻マーラトバックや息子のランパワランプも登場するこの作品。中学時代に図書館で借りてきたヴィジュアル本で初めて知って、どうしてソフト化されていなのだろうと首を傾げたものですが、あまりの不出来さにルーカスフィルム自ら封印したそうです。
今回はその一部も映像として収録されているのですが、このあたりの扱いを見るに、作品中でも述べられているとおりルーカスも寛大ですよね。封印作品は封印作品なのだけど、それを話題にすることまでは否定していない。たぶんきっと、そのうちいつかは日の目を見ることになるのでしょう。
そして、まあお決まりと言いますか。作品の後半ではかつて旧三部作をリアルタイム観た世代によって痛烈な新三部作批判が為されます。中には「新三部作は俺の中ではなかった」と言い張る人もいて、SWマニアには『EP1』を始めとした新三部作のウケはすこぶる悪いようです。
中でもフォースの神秘性がミディ=クロリアンという遺伝的要因に集約されてしまったこと、ジャージャーの存在が彼らの不興を買ったらしく、特にジャージャーに関しては「グンガンは帰れ!」とデモ行進を行ったり、フィギュアを燃やしたりとやりたい放題。ちょっとしたフーリガンです。
うん、言いたいことはわかるよ? 確かにジャージャーはウザったいですよ。『CW』でも無用にしゃしゃり出ては周りを引っ掻き回し、その癖あまり面白くないという最悪さですからね。嫌われるのもわかります。
けれど、新三部作の若いファンとして言わせて貰えば、旧三部作だって悪いところはいっぱいあったよね? 私の初めて観たSWは『EP1』に備えて父親がビデオ屋で借りてきた『EP4 特別編』で、それに衝撃を受けた立場ではあるのですが、改めて観てみるとその『EP4』もストーリー自体はわりかし単純明快で王道だし、ヤヴィン4の反乱軍基地はまるで帝国かと思うくらいに人間しか駐屯していない。レイアもお姫様なのに可愛くない。
そもそも映画全7作で最も作品的にダメなのは、イウォーク風情が原始的な攻撃でトルーパーたちとやり合って銀河の命運まで左右しちゃう『EP6』だと思うんですよ。『EP1』を叩いておけば良い、「ニュー・ジェダイ・オーダー」はスピンオフをダメにしたという彼らの言い分は、ちょっと待てよと大いに言いたい。それはつまるところ懐古主義と想い出補正の何ものでもないんじゃないかと思うわけですよ。
――で、この映画ではその新三部作世代の立場から見たSW観が丸々抜け落ちているのです。一部に新三部作を擁護する意見も出るには出るし、子供たちはみんな「ジャージャーが大好き!」と大人のSWファンに言うには言うのですけど、結局は「おまえたちはわかってない! 俺たちの青春はあんなもんじゃないんだよ!!」といったスタンスで括ってしまう。
この点に私は強烈な違和感を覚えました。要するに、この作品を本当に楽しめるのは旧三部作世代であって、新三部作世代の新しいファン層にはちょっと合わないんじゃないかなぁと。本作においては、ルーカスの好き勝手に改変を加えられても良いのか、映画とはいったい誰のものかという命題が投げ掛けられますが、それを言ったらSWは旧三部作原理主義者だけのものなのかと問い質したい。違うでしょう。旧三部作世代がSWを愛しているように、新三部作世代だってそれと同等か或いはそれ以上にSWを愛しているのです。だから、この描き方はフェアじゃない。共感を通り越して、観ていて軽く怒り心頭でした。
でも、この世代間の隔たりというのは他の作品でも同様で、たとえば「ウルトラマン」ならウルトラマンの神秘性を保つために安易なキャラ付けで喋らせるべきじゃないとか、CGじゃなくてミニチュアでやるべきだといった議論は必ずといって良いほど出てくるし、この間の『スタートレック(ST11)』だって、これが本当に「スタートレック」なのかとさんざ争われたくらいです。ミステリだって、やれ脱格だのやれ変格だの、本格原理主義者との闘いは尽きません。
こうしたファン同士の認める認めないが論争にまで発展し、それこそ本気になってぶつかり合えるというのは、それだけその作品が愛されているという証左なのかもしれません。
映画の内容や登場する人たちにこれだけ文句をつけておいて、やっぱり私自身、彼らと同様にSWの新作が作られる“いつか”を心待ちにしてますもん。
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