2012.07/12 [Thu]
麻耶雄嵩『神様ゲーム』
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★★★☆☆
ぼくは神様なんだよ
芳雄の住む神降市で、猫の殺害事件が連続して発生! 芳雄は同級生と探偵団を結成し犯人捜しを始めることに。そんなとき、転校したばかりのクラスメイト鈴木君に「ぼくは神様なんだ。猫殺しの犯人も知っているよ」と告げられる。嘘つき? それとも何かのゲーム? 数日後、探偵団は、本部と称して使っていた古い屋敷で死体を発見する!猫殺し犯がついに殺人を!? 芳雄は「神様」に真実を教えてほしい、と頼むのだが、その答えは!?
「『神様ゲーム』はやばい」と、多くの読者に衝撃を与えことで語り種になっているミステリーランド上梓作。この度、ノベルス落ちしたので読んでみました。
「かつて子供だったあなたと少年少女のための」のレーベルキャッチコピーどおり、主人公の芳雄は小学4年生の少年で、仲間たちと共に巷で噂の猫殺しの犯人を突き止めるために行動を開始する――という、これぞジュブナイルなあらすじですが、いざ読んでみるとおよそ子供向けとは思えない毒気と狂気を孕んだ、大変宜しくない作品にでした。
デビュー作にてミステリ小説における名探偵の在り方へのアンチテーゼを描いた麻耶雄嵩ですが、この『神様ゲーム』ではその考えをさらに進めて、『翼ある闇』である種不完全だった部分を、作中で「神様」という存在を設定することによって見事に閉じてみせています。神様は絶対に間違うことはないので、いかにロジカルで辻褄の合った“真相”を導き出しても、神様が否定すればすれは真実ではない。どんなに理不尽に見えても、神様の指し示した真実こそが唯一無二の、絶対の正解である、と。
しかしながら同時に、それこそが本作の問題点でもあります。一部にそれらしいことを匂わせるセリフがあったとはいえ、そこまでに充分な伏線が敷かれることも納得できるだけの推理が組み上げられることもなく、ただ漠然と“事実”のみが物語のラストになっていきなり放り込まれてくる。正直な話、読み終わって最初の感想は「え?」ですよ。
現代美術にはデュシャンの『泉』という作品があります。誰もが一度は目にしたことがあるだろうこの有名作は、実はそこらの量産モノの便器に署名とタイトルだけ付けただけの代物で、多くの人はなぜこれが美術史に残る重要作とされているのかわからない、と首を傾げるハズです。けれど、そこには「芸術とは何なのか」「そもそも何をどうしたものがどこから芸術と呼べるのか」といった問題提起があり、そうしたガワの部分があるからこそ、ただの便器が意味を持つ。
本作もそれと同じです。麻耶雄嵩という作家がこれまで書いてきた作品群、著者の提起してきたミステリ論があって初めて成り立っているものであり、作品の外側にある事情を取っ払っていち小説として見た場合、ミステリの限界を突き詰めていった結果、一周回って伏線も何もない超展開の駄作との違いが見出せない作品になってしまっています。
だからこそ、この小説をそこまで持て囃してしまって良いのかとも思うのです。伏線や論理をスポイルしてしまったミステリを本格と読んで良いのでしょうか? もしこれが許されるのであれば、本格ミステリにおいては論理性が必須という大前提自体に疑問符が付くことになり、本格というフォーマットそのものが崩壊してしまうのではないでしょうか?
そしてそんなミステリを読みたいかと訊かれれば、言うまでもなくノーです。私が読みたいのは、伏線とロジックとトリックで魅せる本格ミステリなのです。なので私はこの作品はやっぱりナシだと思うし、一介のミステリファンとして、あの結末は超展開以外の何ものでもないと断言したい。
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